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淡い期待は、いつの間にか重くなっていた。 無駄な事だと、解っていた筈なのに。 ≪空色に誓う竜の夢 6≫ 〜涙雨〜 「政宗様、どちらへ?」 「ああ、父上に呼ばれているんだ」 「輝宗様に…? 先の戦の事でしょうか……政宗様の活躍は素晴らしいものでしたからね」 「よせよ、小十郎……あれはお前ら兄妹が居てこその手柄だ」 小突き合いながら、廊下を歩く。 それでは小十郎は今のお言葉をにも伝えて参ります、と礼をし去って行った。 「さて、と………父上、政宗でございます」 「ああ、入りなさい」 失礼致します、と部屋の外で言ってから、ゆっくりと障子を開けた。 にっこりと微笑む父に軽く会釈をし、下座に座った。 「先の戦では活躍したそうだな……この父も鼻が高いぞ」 「は……有難き幸せにございます…ですが、あの手柄は小十郎とがあってこそ…」 「はは、良い家臣を持ったなぁ…政宗」 穏やかに笑う優しい父は、母のしようとしている事を知っているのだろうか。 母が、政宗を殺して、弟に家を継がせようとしている事を。 「そういえば政宗、竺丸が元服したぞ。 目出度い事は重なるものだな」 「竺丸が……」 「ああ、義が早く一人前にしたいと言って……名も小次郎と改めた」 「……そう、ですか………確かに、目出度い事ですね……」 一つ下の弟が元服するには、まだ半月以上も先の筈だ。 それを無理を言って、元服させたという事は。 政宗の活躍に焦り、政宗が家督を譲られる前に殺して弟に譲らせようとしているのだろう。 認めてもらえるかもしれない、と期待していた。 心の何処かで、とても深く。 それが、逆効果になるなんて。 「……お話はこれで終わりでしょうか、父上…」 「ああ、いや、済まん。 本題を忘れていた」 父は言いにくそうに後頭部をがしがしと掻いてから、続けた。 「お前も、もう一人前の男だからな。 …そろそろ許婚ぐらいは、いてもいいかな、と」 「……許婚………?」 一人前の男と認められたのは、嬉しかった。 嬉しかったが、その後の言葉に驚いた。 許婚? 結婚する? 俺が? 許婚という言葉が、頭をぐるぐると忙しなく駆け回る。 そして何故か、その中にの笑顔が浮かんだ。 「ああ、何故急にそんな話をするかというとな……お前に、家督を譲ろうかと思っている」 「え………」 一度に色々な衝撃的な事を言われて、頭が混乱する。 竺丸が元服したという事、結婚しろという事、家督を譲ろうとされている事。 そんな事をしたら、母上が。 言い掛けて、言葉を飲み込んだ。 「…義は小次郎を溺愛しているしな、お前を無視して家督争いがあるのも知っている」 「でも…俺は……」 「政宗……だが、この父は…お前に、この伊達家を任せたい」 正直言って、迷った。 優しい父も好きだし、父の期待に応えたい。 けれど、自分が病に罹る前の、自分の事も弟の事も精一杯愛してくれていた母も覚えている。 母に、これ以上憎まれるのは、嫌だ。 「父上……お気持ちは有難くお受け致します。 ですが、今暫くお待ち頂けませんか」 「そうか……まあ、ゆっくり考えるといいさ。 …許婚の事もな」 「はい………申し訳ございませぬ」 気にする事は無い、と父は笑って言ってくれた。 けれど、事件は起こった。 政宗は、片倉兄妹と共に狩りに出掛けていた。 宣教師から貰った、鉄砲というものの訓練も兼ねて、だ。 「異国の武器ってのは面白いもんだな……ま、俺は刀で戦う方が好きだが」 「そうですな……ですが、こうして狩りならば楽しめましょう」 「そうですねー…近付いてくる前に倒せますもん。 でも私も刀の方が楽しいなぁ」 喋りながら、獲物を仕留めていく。 今日は、小次郎の元服の宴だ。 警戒はしていたが、やはり祝わないと余計な波風を立ててしまう。 だから、こうして狩りに来てるという訳だが。 「どうせなら熊とか仕留めてぇよなあ」 「政宗様、それは幾ら何でも危険ですぞ!」 「そうですよ、熊なんて危ないですよ!」 「……猪を仕留めてるお前に言われたくねぇ」 小十郎は的が小さく仕留め辛い鳥、政宗は素早く逃げ足の速い狐。 そしては、突進してくる猪を仕留めていた。 「怖かったから、つい撃っちゃったんです」 「おいおい、jokeはやめろよ……思いっ切り狙い澄ましてたじゃねぇか」 「我が妹ながら末恐ろしい……ですが政宗様、狐を仕留めたのは素晴らしい事です。 素早く、動きを捉えにくい上に、奴らは人の気配に敏感な生き物ですから」 小十郎に褒められると、悪い気はしない。 しかし少々、持ち上げ過ぎな気もするが。 成果も上々に、和やかな雰囲気で城へ戻る。 獲った獲物を馬で引きながら帰ると、何故か騒がしかった。 「あれは………父上…っ…?!」 「政宗様、お待ち下さい!!」 小十郎の言葉を無視して、馬で駆け出す。 父が、見た事のある男に捕らえられている。 馬上で首に刃を当てられ、拉致され掛けている所だった。 遠い中、必死に目を凝らす。 何処か見覚えのある者だと思っていたら、自分が撃破した城の城主だ。 輝宗が慈悲で、処断しなかった。 それなのに、あの男は父の恩を裏切る様な真似をしている。 許せなかった。 「……あの、野郎……!」 持っていた鉄砲を、構える。 大丈夫だ、先刻やった通りに撃てばいい。 「政宗…っ…?!」 「父上、今助けます!!」 男は慌てて、輝宗を盾にした。 これでは、男を撃つ事が出来ない。 迷っていると、父が叫ぶ声が聞こえた。 「政宗!! …撃て!!」 その言葉に、刀が父の首に押し当てられる。 父上に、死んで欲しく無い。 父上を、自分の手で殺したくない。 でも、父上を戦わせもせず、武士として死なせない事は。 何よりも、嫌だった。 「…、申し訳ございません……父上…ッ…!!」 その言葉が、父に届いたかどうかは解らない。 けれど父は、確かに微笑んでいた。 「……政宗さま…」 「………、か……」 涙雨か、外では激しい雨が降り注いでいた。 開け放った障子から、縁側に雨が吹き込んでいるのが見える。 濡れるにも関わらず、はそこから部屋の中の政宗を見つめていた。 辛そうにも、見えた。 「、俺は……家を継ごうと思っている」 「……本当に、それでいいんですか…?」 「ああ……もう、覚悟はしている」 母上に憎まれる事も、小次郎と争う可能性も。 父の遺志を、継ぎたい。 「では、私は……私たち片倉兄妹は、従うまでです」 「ありがとう、……なぁ、こっちに来てくれるか」 俯いて言うと、障子の閉じられる音が聞こえた。 左隣に、ゆっくりとが跪く。 殆ど衝動的に、視界にあった手を掴んだ。 痛くない様に、それでも強く、しっかりと。 が息を呑むのが聞こえたが、無言で待ってくれていた。 それどころか、そっと手を握り返し、もう片方の手が添えられた。 「……情け、ねぇだろ………あれから、震えが止まらねぇ…ッ…」 あれだけ、戦で人を殺めたのに。 親族を手にかけたという事だけで、こんなにも震えてしまう。 不安、だった。 自分は、間違っていなかっただろうか。 自分は、父を救えただろうか、と。 「政宗さま……大丈夫ですよ」 握っていた手がやんわりと解かれて、益々不安になった。 けれど優しい言葉と共に、綺麗な手は柔らかく頭を撫でた。 幼い頃、よく父がそうしてくれた様に。 何が大丈夫なのか、理由も根拠も無いのに。 何故か安堵感があって、俯いた瞳から涙が溢れた。 出来るだけ嗚咽を漏らさない様にしていたが、それでも押し殺せなかった。 優しく撫でる掌が、無理しなくていいよ、と言っている様で。 「何があっても………私は政宗さまの味方です。 ずっと、お傍に居ますから……」 羽根の様に柔らかで優しい声を聞きながら、いつの間にか意識は沈んでいった。 BACK TOP NEXT
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