素材:clef様
あの日見た竜の夢が、今も痛みと共に焼き付いている。 ≪空色に誓う竜の夢 5≫ 〜初陣〜 「梵天丸様、失礼致します」 「おいおい小十郎、梵天丸はもうやめてくれよ」 「はっ……そうですな、政宗様」 「で、何の用だ?」 障子の前で跪いていた小十郎を部屋に招き入れ、菓子でも食うか、と差し出した。 恐れ入ります、と言いながら小十郎は茶を用意し、政宗の前に腰を落ち着かせた。 「……さて、では用を話しましょうか。 間食を楽しみに来た訳でもありませんしね」 「俺は別にその用でもいいんだけどな。 ……で?」 「お喜び下さい、政宗様。 初陣が決まりましたぞ」 聞いた瞬間、喜びと恐怖が同時に浮かんだ。 自分も一人前の男になれるという嬉しさと、人を殺すという恐ろしさ。 弱い自分が嫌でもあるが、人を殺して喜ぶ様にはなりたくなかった。 だから、正直言えば戦なんて嫌だったけど。 「俺が活躍したら……母上は、俺を認めて下さるかな」 「…難しい事ではありますな。 ですが、可能性はありましょう」 「……ああ! じゃあ小十郎、剣の稽古をつけてくれるか」 「喜んで、お教え致します……ああ、政宗様」 小十郎は、何と言うか、父親の様な顔をして言った。 「も稽古にご一緒させてやってもらえませんか?」 「勿論、おーけーだぜ」 「………おーけー…? ……ああ、異国の言葉ですね」 「おう、いいぞ、っていう意味だ」 異国の言葉に興味を持った政宗は、元服の日以降から宣教師に教えを受けていた。 勿論宗教の教えもあったが、異国の言葉も快く教えてくれる。 新しく学ぶのは楽しく、兵法の勉強よりも精を出していたくらいだった。 「有難うございます、政宗様。 も喜びますよ」 「……? は俺と稽古をするのが好きなのか?」 「ええ、政宗様と稽古をした日は、その話をこの兄に良く話してきますよ」 何と無く、嬉しく思った。 まだ自分よりも強いが、自分との稽古で満足してくれているか不安だったから。 漸く背は並んだものの、年の差の所為か中々追い抜けない。 年を追い越す事は出来ないから、背や剣の強さでは勝ちたいというのが政宗の常日頃からの願いなのだが。 「ー、稽古するぞー」 庭で素振りをしていたに声を掛けると、振り返って笑顔で応える。 その笑顔に、どくん、と心臓が脈打った。 ―――…何だ、今の? 「……梵天丸さまー?」 すぐ近くで顔を覗き込んできたにはっとし、頭に浮かんだ疑問を打ち消した。 そして、先程呼ばれた名を思い出す。 「……、俺の名は何だ?」 「梵天丸さま」 「………元服したのにか?」 「あー……政宗さま、でしたっけ。 あはは、まだ慣れなくて」 ったく、兄妹揃って。 溜息を吐きながら言うと、政宗より少し後ろに居た小十郎が苦笑した。 兄上だってまだ慣れないよねぇ、なんて言いながら誤魔化す様にも笑っていた。 こんな何でも無い一時が幸せだと思えるから、戦も怖くなる。 幸福が、壊れない様にと願ってしまうから。 「……よし、じゃあ勝負するぞ、」 「受けて立ちますよー、政宗さま」 「では、いつも通り小十郎が審判を」 二人で木刀を持ち、向き合って構える。 の瞳が鋭く光って、いつもの能天気振りからはとても考えられない程の覇気。 けれど凛としたその様も美しく、眼帯で片目を隠しているのが少し勿体無かった。 始め、という小十郎の合図が聞こえた瞬間、右足を思いっ切り前に踏み出した。 右から左に向かって水平に振り、首を狙う。 が、はその動きを途中で遮り、刀身を捻って受け流した。 その拍子にほんの少し前方に傾いた政宗の隙を、は見逃さない。 右側から素早く舞う様に背後に回り込んだ為に政宗の反応は間に合わず、切っ先は首筋に当てられた。 「……そこまで!」 「…くそ……また負けた………」 木刀が下ろされが離れたあと、政宗は下を向いてぽつりと呟いた。 いつも通り負け、いつも通りが改善点を言う。 「…太刀筋は物凄く良くなっています。 速いし、真っ直ぐで綺麗でしたよ」 「でも、防がれたな」 「うーん……真っ直ぐだからこそ、読みやすいんですよね。 相手を惑わす様な、牽制動作が入ると決まりやすいと思います」 は遠慮無く、良い所も悪い所も口にしてくれる。 どうしたらいいかという対策もつけてくれて、片倉兄妹は本当に良い師だ。 勝負に勝てないのは悔しいが、稽古は楽しく、とても勉強になった。 「あと、右側が弱いです」 「……見えないからな」 何気無く呟いてしまった言葉に、一瞬後に後悔した。 そんな事はだって一緒なのに、ちゃんと反応出来ている。 目が見えないから、なんて言い訳にしかならないし、反応出来なかったのは自分の鍛錬不足だ。 「見えないのは私だって一緒ですよ? 鍛錬あるのみ、ですよ、政宗さまっ」 それなのには、笑顔を曇らせる事も無くそう言った。 それに釣られて、政宗も笑顔で答える事が出来た。 「ああ、俺はまだ修行が足りねぇな。 相手頼むぜ、小十郎」 「もっちろんですよー」 「ええ、政宗様の為ならば幾らでも」 その後は、小十郎に相手をしてもらった。 ひたすら打ち込んで、太刀筋を磨く。 地味な修行だが、腕力も体力もつく。 を守る為、小十郎を守る為、戦で少しでも死者を出さない為。 強くなるという誓いの下に、政宗は修行に励んだ。 「……遂に、初陣ですな……この小十郎、嬉しゅうございます」 「大袈裟だぜ、小十郎……いつかは来る日だって解ってたろ」 「それでも、政宗様の晴れ姿は喜ばしいものでございますよ」 目を細めて本当に嬉しそうに笑う小十郎は、兄というより父親だ。 そんな小十郎を見て、政宗の顔にも笑顔が浮かんだ。 お蔭で、少し緊張が解けた気がする。 「政宗さま、やーっと笑いましたね。 さっきまで、こぉーんな顔してましたもん」 「ぷっ……やめろ、お前。 女がそんな顔するもんじゃねぇぜ」 眉間の皺を寄せ口をへの字に曲げて、政宗の方を向く。 その顔が可笑しくて、戦の前とも思えない位、いつもの様に政宗は面白そうに笑った。 と、その時、戦の開始を告げる法螺の音が遠くから響いた。 「ふふ……じゃあ行きましょうか、政宗さまっ」 「ああ……二人とも、俺から離れるんじゃねぇぜ!」 「命じられるまでもありませぬ!」 三人揃って、敵軍の間を縫っていく。 片倉兄妹の太刀に比べれば、この武士達の振り下ろす刀のなんと遅い事か。 数人を前にしても怯まず、政宗はの動きを真似て、一斉に振り下ろされた刀を舞う様に躱した。 それが楽しくて、まるで遊ぶ様に政宗は刀を避けながら敵を斬っていく。 恐怖は、まだあった。 だが心の何処かで、自分は大丈夫だという自信があった。 「政宗様、あまり一人で先走っては…!」 「心配し過ぎだぜ、小十郎! 俺は負けねぇ!!」 何故、そんな過信があったのか。 何故、忠告を素直に受けなかったのか。 何故、守りたかった二人に、付いて来いと言ってしまったのか。 気が付けば、敵に囲まれていた。 右斜め後ろには小十郎、左斜め後ろには。 もし、前方に気を取られ過ぎて、二人が傷付いたら。 でも、二人に気を取られ過ぎて、自分が傷付いたら。 色々な思考が、頭を巡った。 二人に、謝らなくては。 ―――そんな事をしている場合では無い。 二人を、守らなくては。 ―――出来るのか、お前に? 自問自答を繰り返していると、小十郎がこっそりと耳打ちした。 「政宗様、此処はこの小十郎とが道を開きます………その隙に脱出を!」 何を、情けない事を考えていたのか。 二人を、守るのではなかったか。 これでは、何も変わっていない。 ちり、と右目が疼いた。 何も無い黒い空間に、場面が切り替わった。 先程まで周りを取り囲んでいた軍勢は見当たらず、ただ闇だけが広がっていた。 小十郎も、も居ない。 「此処は…っ…?」 此処は何処だ、敵の軍勢は? 小十郎とは? 俺はどうなったんだ? 違う、俺は此処を知っている。 生きたいか。 また、声が聞こえた。 光から、竜が現れた。 あの日と同じ、美しい黒い鱗を持った竜。 痛みを思い出し、と揃いの眼帯に手を添えた。 「…俺が生きてるだけじゃ意味がねぇ……俺は、大切な奴らを守りたいんだ」 竜は、黙って此方を見ている。 何かを、待っているかの様に。 「力が欲しい。 …強くなりてぇ。 ……守りたい…」 違う。 望むんじゃない。 願うんじゃない。 「……俺は、を守ると決めたんだ!」 どうしたいかなんて、関係無い。 もう傷付けないと、守ると誓ったんだ。 「だから、俺を戻してくれ。 皆で無事に、戻らなきゃならねぇんだ」 竜は、何処か優しげな眼差しになっていた。 誓いを守れ。 そう聞こえたのは、竜の声か、自分の声か。 強烈な光が弾けて、空間は白に包まれた。 目の前に広がる荒野、隙を窺う軍勢。 誓いは守る、自分と竜に、答えた。 「ああ? つまんねぇこと言ってんじゃねぇぜ、小十郎」 「………政宗様…?」 「秘密裏に鍛錬してきた六爪流、此処で使わねぇで何時使うんだ?」 政宗は一度刀を鞘に納め、両腕を交差させ柄に手を掛けながら言った。 小十郎が了承の代わりに苦笑するのを見て、左右に三本ずつ腰に差している刀を勢いよく抜く。 小十郎は優しく微笑み、は驚嘆の声を上げた。 「ろく…そう、りゅう? なんですか、それ…」 「見た通り、六本の刀で戦うんだよ」 半ば呆れている様なを尻目に、六爪流に怯んでいる敵に向けて剣を構える。 恐怖はもう無い、覚悟は決めた。 誓いは、守る。 「…Let’s party!!」 自分を奮わせる様に叫んで、真っ直ぐ走り出す。 全速力で走る政宗に、小十郎とは黙ってついて来た。 「ぱーりー、ってなんですか?」 「宴、って意味だ」 「戦を宴とは……この小十郎、深く感服致しましたぞ」 「ふふっ、ぱーりーかぁ」 流石の余裕か、二人は笑みまで浮かべながら喋っている。 右斜め後ろには小十郎、左斜め後ろには。 自分は、しっかりと前を見据えて、突き進めばいい。 二人は、背中を守りながらずっとついて来てくれる。 「小十郎、、しっかりついて来い! 怪我すんじゃねぇぜ!!」 近くに居た敵兵を軽く蹴散らして、政宗は剣を振り上げた。 その動作に合わせて、小十郎とも同じ様に構える。 切っ先から迸る雷に、敵は恐れ戦いた。 三人同時に掛け声を掛けて、思いっ切り振り下ろす。 荒野を、大きな蒼い稲妻が駆けた。 こうして、独眼竜と竜の右目と竜の逆鱗の名は、広まっていった。 BACK TOP NEXT
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