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信じたくは無かった、けれどそれが真実なら。 ≪空色に誓う竜の夢 3≫ 〜決意〜 小十郎から聞かされた話は、俄かには信じ難い話だった。 「梵天丸様、気をしっかり持ってお聞き下さいね…。 …女中に、梵天丸様に毒を盛る様に命じたのは……貴方の母君、義姫様です」 衝撃、だった。 心臓が鷲掴みにされた様で、肺は内側から細い針で刺されている様に痛んだ。 病で伏せていた時の、喉と瞳の焼けた様な痛みが蘇った。 「………本当、なのか」 声が、震える。 小十郎が確信の無い話など持ってくる筈も無い事は、解っているのに。 そんな事ぐらいしか、言えなかった。 「………はい」 「…絶対に、間違い無いか」 「……はい」 「…………解った…」 解った、と言ったものの、納得などしていなかった。 病が治ってから、以前と全く同じとは言えなくても、母は優しかった。 何処かぎこちない所も有ったが、それは仕方ない事と思っていた。 だが、自分が甘かったのか。 小十郎の話だと、弟の竺丸を跡継ぎにする為に、長男である梵天丸を亡き者にしようという事だった。 片目の見えない者では、立派な男と言えないからか。 おまけに、失明した右目は日を追う毎に醜く飛び出している。 梵天丸は、自分を亡き者にしようとしている母より、病に罹った自分を呪った。 「………母上……」 独りきりになった部屋で、ぽつりと小さく呟いた。 「梵天丸さま」 「……………」 「梵天丸さまってばっ!」 「えっ……あ、か……」 さっきからお呼びしてるのに、とは頬を膨らませる。 それを見た梵天丸が、ごめん、と謝った。 機嫌を直したは、にっこりと年相応の笑顔を見せた。 「ね、梵天丸さま? ちょっとお出掛けしません?」 「…僕は、そんな気分じゃ……」 「あ、出掛けますぅ? 分かりましたぁ、どこ行きましょっかー?」 梵天丸の言う事などまるで無理して、そっと手を引く。 幾ら小十郎でも、一人で情報を探るなど稀だろう。 特に今回の様に、梵天丸の命を狙う黒幕の正体を調べるなど。 恐らくは、も調査に参加していたと思う。 そして、真実を知っている。 だから、兄に頼まれてかは分からないが、こうして励ましに来たのだろう。 独りで居たいとも思っていたが、の明るさと優しさは素直に嬉しかった。 それに、と小十郎だけは、自分のこの醜い目も、気にせず接してくれる。 「……どこに、行こうか?」 「あ、行く気になってくれたんですね! 梵天丸さまは行きたい所ありますー?」 「…あ、あまり遠くに行くのも危ないから…庭に出てみよう」 「うーん……そうですね、梵天丸さまがそう言うならっ! それに、勝手に出掛けると兄上が煩そうですしね?」 悪戯っぽく笑うに釣られて、梵天丸にも笑顔が浮かんだ。 過保護な小十郎は、梵天丸にとって兄であり、友だった。 まだ短い付き合いではあるものの、心から信頼もしている。 だからこそ、告げられた事は真実である事も、真実を告げる小十郎の辛さも解っていた。 けれど、母を信じたいと思う心の方が、ほんの少し強かった。 「梵天丸さま、大丈夫ですか?」 「あ、ああ……大丈夫、だ………」 思考を切り替える為に、空を見上げた。 雲一つ無い、青空。 まるで、の様だと思う。 清々しく、晴れやかで、凛々しくて、優しい。 「………いつも、ありがとう」 「な…なんですか、急に……」 の頬が、ほんのりと桜色に染まる。 三つ年上のしっかり者のだが、こうしていると普通の女の子と何ら変わりは無い。 可愛いとはこういう事なのだろうな、と思った。 「………? っ、梵天丸さま、危ない!!」 「え……」 鋭い、空気が裂ける音がした。 咄嗟に瞑った目を開ければ、自分より背の高いの背中。 その向こうには見知らぬ男。 一瞬、だった。 振り下ろされた男の刀を受け流し、屈みながら相手の懐に潜り込み、頚動脈を深々と抉った。 傷口から勢い良く鮮血が吹き零れ、は返り血を袖で防いでいた。 その姿は先程までの年相応な少女と違い、非情な獣の様だった。 「ご無事ですか、梵天丸さま」 振り向いたの顔を見て、梵天丸は愕然とした。 大きく刻まれた傷、その傷口から止め処無く溢れる深紅の液体。 「…っ!! お前、怪我を…!」 「…私の事など構いません、梵天丸さまがご無事なら……」 「ばか…ッ……、早くっ、小十郎の所に……っ…」 慌てた梵天丸が、の手を引いて走り出した。 自分の所為で、否、自分の為に死んでしまったあの子猫と、同じ道は歩ませたくない。 違う、自分がもう、大切な者を失いたくないだけ。 「小十郎!! が……ッ…」 息を切らせてやって来た梵天丸に、小十郎はあくまで冷静に応える。 妹の傷を見て驚きはしたが、即座に用意した清潔な手拭いで慎重に血を拭った。 別の布を傷口に当て、その上から包帯を巻いていく。 痛々しい姿に、胸が痛んだ。 「……ごめん、…」 「気にしないで下さいよぉ、梵天丸さまっ」 今にも泣き出しそうに目元を赤く染め、正座をした膝の上で震える拳を握りながら謝った。 しかしは先程の雰囲気とは打って変わって、いつもの調子で言った。 「梵天丸さまをお守りするのが私たち片倉兄妹の役目なんですから! 梵天丸さまがご無事な事が、私たちにとって一番喜ばしい事なんですよっ」 そう言われた途端、堪え切れなくなった涙がとうとう零れ落ちた。 急に恥ずかしくなって、慌てて拭い、そそくさと部屋を出る。 「……守ってくれて、ありがとう…。 …安静にしてた方がいいだろうから、僕は……」 「ええ…梵天丸様、の事…ありがとうございました」 「僕は何も………じゃあ、お大事に…」 部屋を出て障子を閉めて二、三歩歩いてから、梵天丸は一気に走り出した。 廊下を全速力で走り、自分の部屋に直行した。 静かに障子を閉めると、がくん、と膝を着く。 また、自分の所為だ。 母が弟の為に自分を殺そうとしている事を解っていながら、それでも母を信じようとしていた。 疑って軽率な行動をとっては二人の迷惑になるだろうけど、それでも自分には慎重さが足りなかった。 どうしたら、いいのだろう。 大切な者を、を、守る為には。 BACK NEXT
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