素材:clef様
母に罪は無い。 悪いのは、自分なのだから。 ≪空色に誓う竜の夢 2≫ 〜犠牲〜 右目の視力を失ってから、季節が四度廻った。 気丈に振舞っていても、まだ幼い子供。 頭では解っていても、塞ぎ込んでばかりいた。 にゃあ、と梵天丸の足元で小さな鳴き声が聞こえる。 「お前か……ありがとな、いつも来てくれて」 ぶち模様の子猫を抱き上げ、そっと膝の上に乗せる。 いつもの様に縁側に座っていた時に、やってきた子猫。 以前の様に庭を駆け回る事をしなくなっていた梵天丸だったが、この子猫のお陰で、 昔と同じ様にとはいかなくとも、少しずつ笑顔を取り戻していた。 優しく子猫の喉を撫でると、甘えた声で掌に擦り寄ってくる。 柔らかい笑顔を浮かべながら、暖かい日差しを子猫と共に浴びていた。 「…梵天丸様、お菓子は如何ですか?」 「ありがとう、いただきます」 女中が盆に小さな皿を乗せて、運んでくる。 団子が幾つか乗っていて、それを見た子猫が、なぁう、と甘えた声を上げた。 「なんだよ、お前も欲しいのか? 仕方ないなぁ、ちょっとだけだぞ」 食べやすい様に小さく千切り、掌に乗せて子猫の口に運ぶ。 女中が静止の声を掛けた時には既に遅く、子猫は梵天丸の手から餌を貰っていた。 満足そうに顔を上げた子猫が、突然血を吐き出した。 いかにも苦しげに咳き込み、やがてぱたりと動かなくなってしまった。 梵天丸が菓子を運んで来た女中を見上げると、女中は小さな刀を振り下ろしている所だった。 自分は剣術の訓練もろくに受けていないし、今武器になる様な物も、防げる様な物も思い付かない。 何より、間に合わない気がしていた。 自分に向かってくる切っ先は、ゆっくりと下ろされている様に感じられているのに。 「梵天丸様、お伏せ下さい!!」 殺される、という恐怖で閉ざした視界に、音が届いた。 ―――…伏せろ? 瞬間的に、子猫を膝に抱いたまま身体を縮こまらせた。 細く鋭い音、耳障りな金属音、鈍い音、重く響く音。 そして、甲高い悲鳴。 「梵天丸様、もう大丈夫です……お顔を上げて下さい」 恐る恐る顔を上げると、見た事の無い青年が居た。 黒い少し長めの髪を後ろにぴっちりと整え、吊り上がった眉に鋭い目をしている。 そして、服がどす黒い赤で染まっていた。 「…怪我、してるのか……?」 「ああ……お心遣い痛み入ります、梵天丸様。 ですが、ご心配は無用にございます。 これは返り血でございます故」 「…返り、血…?」 ふ、と床を見れば、先程まで自分を殺そうとしていた女中。 肩の辺りが見えて、服には血が付いていた。 「見ちゃダメですよ、梵天丸さま。 後始末は、私達片倉兄妹にお任せ下さい」 「! 梵天丸様に向かって、その様なお言葉を…!」 横たわっている女中の死体と梵天丸の間に、袖に笹の葉、裾に雀の模様の着物を着た少女が立っていた。 まだ幼い少女だったが、腰には立派な大小を差していて、浮かべた笑顔は大人びていた。 「梵天丸様、ご無礼をお許し下さい。 私は片倉景綱…片倉の家にて継いだ名、小十郎とお呼び下さい。 この者は、私の妹の……」 「兄上、自己紹介ぐらい自分で致します」 拗ねた様な顔で少女は言うと、地面に片膝を着き、恭しく頭を下げた。 きりりとした表情は、兄の小十郎に似ている。 鋭い目をしていたが、凶暴な光は無かった。 先程の、女中の様な。 「紹介が遅れて申し訳ありません、梵天丸さま。 私はこの片倉景綱の妹、と申します……お怪我はございませんか?」 「あ、ああ……ありがとう、、小十郎…?」 「有り難きお言葉にございます」 「礼など無用にございます……梵天丸様に大事が無くて何より」 二人は梵天丸の世話役を賜り探していた所、襲われている現場を発見したという事らしい。 もしも二人が来なかったら、自分は殺されていた事だろう。 そう思うと恐怖が蘇ってきたが、優しく微笑む二人が傍に居ると安心出来た。 「………あ…」 「如何なされました、梵天丸様?」 「…猫……」 梵天丸の膝の上には、冷たくなった子猫が乗せられたままだった。 短い時間しか過ごしていないが、梵天丸にとっては唯一の友だった子猫。 もう自分に甘えて鳴く事も無い、一緒にひなたぼっこをする事も無い。 恐怖で抑えられていた哀しみが一気に溢れ出し、病に侵されなかった左目から次々と透明な雫が零れ落ちた。 泣けない右目の代わりの様に、止まらなかった。 「…う…っ……ひっく……、僕の所為だ…僕の所為で、猫は…ッ…」 食べさせなければ良かった。 自分が毒入りの菓子をあげた所為で、友達は死んでしまった。 そうしなかったら、子猫も、女中も、死ぬ事は無かった。 「……いい加減にしなさいよっ!!」 が突然、大きな声で叫んだ。 驚きで梵天丸は言葉を失い、兄の小十郎はその態度に唖然としていた。 「その子猫がお団子食べてくれたから、毒が入ってるの分かって…。 それでアンタは助かったんじゃない!」 「でも、僕の所為で…ッ…」 「猫ちゃんは、アンタを助ける為に食べてくれたのよ! だから泣いてないで…ありがとう、って言ってあげなくちゃダメじゃない…」 震える声で、は言った。 そして、綺麗な指先でそっと子猫の冷たくなった身体を撫でた。 えらかったね、と言いながら、優しく。 「……ありがとう…ねこ……それから、」 「…あ…いえ、私こそ…出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありませんでした……」 思ったより素直に聞き入れた梵天丸に、はハッとして非礼を詫びた。 女中の事は任せろ、と言った小十郎に任せ、子猫の墓を作りたいといった要望には応える事にした。 それから、半月程経ったある日の事だった。 女中に毒を盛る様に命じた者が、誰かという事が判明したのは。 BACK TOP NEXT
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