素材:clef様
何日も、何日も。 もう日が暮れているのか夜が明けているのか、区別などつかないけれど。 永劫かと思える程に長い時が、闇の中で過ぎてゆく。 ≪空色に誓う竜の夢 1≫ 〜代償〜 突然の事だった。 いつもの様に庭に出て、いつもの様に走り回って。 小雨が振り出したにも関わらず、泥だらけになりながら遊んでいた。 そろそろ屋敷にお戻りにならないとお風邪を召されますよ、と父の家臣に言われ、仕方なしに屋根の下に戻る。 その瞬間にくらりと眩暈がして、かくんと座り込んだ。 「梵天丸様、如何なさいました?」 声と共に家臣が肩に手を置いた拍子に、ぐにゃりと視界が歪み、下から風が吹き抜けた様な感覚が起こった。 男の叫ぶ声、慌しく駆け寄る足音、色々な声で次々に呼ばれる自分の名。 全てが遠くなって、やがて何も聞こえなくなった。 額の辺りに、指先から、足先から、頭の天辺から、熱が集まる。 上から誰かに強く押さえられているかの様に、瞼は重くずくりと痛む。 全身が床に吸い付いているのかと思える程、身体の何処を動かす事も出来なかった。 傍で、誰かの話し声が聞こえる。 他の器官を補っているのか、音だけが良く頭に通った。 「……疱瘡、ですね。…残念ですが、本人の生命力に賭けるしか……」 「疱瘡?! そんな伝染病に……可哀相だが、他の者に感染っては……」 「梵天丸を隔離しましょう。竺丸が病に罹っては、伊達家を継ぐ者が居なくなります」 医者と思しき男の声と、聞き慣れた両親の声。 自分がどうなるか聞こえていたのに、まるで全てが他人事の様に感じられた。 右目の奥が、鈍器で殴られた様に痛んだ。 何も見えない暗闇の中で、苦痛と重力に支配される。 苦しくて苦しくて、もがこうとしても指先はぴくりとも動かず、じわりと涙が溢れた。 ふと光が見えて、必死に其方を見る。 光は段々と近付いて来て、その中から黒く長い物体が立ち昇った。 見た事も無い生き物だったと思う。 少し前に庭で見た、蛇という生き物に似ていた。 だがそれには、三本指に鋭い爪の生えた手が片方ずつに二つあって、角や鬣が有った。 声が、聞こえる。 生きたいか、と。 答えようとしても喉に激痛が走って、それでも言葉にしないといけない気がして。 唇だけを、動かした。 死にたくない、生きたい。 見た事も無い生き物は、鋭い爪を持った手を近付ける。 そのまま、ゆっくりと右目を覆った。 刹那、触れられた箇所から後頭部にかけて射抜かれた様に激痛が走って、あまりの痛みに意識は途絶えた。 「…………ぅ……」 喉の痛みは、薄れていた。 呻き声が洩れて、指先は微かだけど動かす事が出来た。 何度か瞬きをして目を開けると、見知らぬ男が覗き込んでいる。 「……っ…梵天丸様、お目覚めになられましたか…! なんという生命力!! 早速、殿と奥方様をお呼びせねば…!!」 梵天丸様、ご安静に、という言葉を残して、男は慌しく部屋から出て廊下を駆けていく。 恐らく医者であろう男の言葉に従い、身体を横たえたまま辺りを見回す。 何処かも分からない部屋だった、当然だ。 自分は、隔離されていたのだから。 しかし目を覚ました、きっと病も治っている筈。 父も母も、今まで通り接してくれる筈。 慌しい複数の足音と共に、医者の男と両親が部屋に入って来た。 「梵天丸…っ…目を覚ましたのか! 何処も痛くないか、何か欲しい物は…?」 「殿、その様に急いては……梵天丸、母の事は分かりますか?」 「…父上、…母上……」 以前と変わらず優しい父と、冷静ながらも心配してくれている母。 嬉しさに涙を流しながら、両親の顔を交互に見る。 ふと、違和感に気付いた。 不意に黙り込んだ梵天丸に、父の輝宗は不安そうに声を掛けた。 「梵天丸、どうした?」 「父上、父上……っ……目が…ッ…!」 視界が、欠けている。 右側だけが黒い空間のままで、何も見えなかった。 「恐らく病の所為でしょう……まさか右目だけ失明するとは」 「梵天丸……大丈夫だ、気をしっかり持ちなさい」 「………はい、父上……」 輝宗が梵天丸を励ましている内に、青褪めた顔で母は部屋を出て行っていた。 心配して障子の端から様子を見ていた一つ下の梵天丸の弟竺丸を、母は抱き締めていた。 「……梵天丸の代わりに、お前が…この家を……」 小さな呟きは、失った右目の代わりに感覚の鋭くなった耳に、確かに届いていた。 BACK NEXT
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