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あの手の温もり



あれは私が知っている手



この目にはもう見ることができないけれど
私の記憶の奥に残っている優しくて強い




そして…温かい手










大人には大人の事情ってぇもんがある 5










「どうしたの?そんな所にいたら風邪を引くわよ」




開け放たれた障子、
縁側に座り、はお妙に声を掛けられるまで暗い夜空を眺めていた



光を失っているとは思えないほど綺麗で真っ直ぐな瞳、
それは寂しそうな瞳ではあるけれど、強く輝いている




「お妙さん…」




はふいにお妙に話しかける



もしかしたらお妙は銀時の事を知っているかもしれない
と、いうより今の銀時の事を教えてくれるかもしれない
それを聞いてどうなる訳でもないが、は聞いてみたかった



だが、「なあに?」と優しい声を返すその声に尋ねる事が出来なくて
「あ…いえ…今夜は空気が澄んでいますね」と言葉を濁してしまう




「ええ、月が綺麗に見えて…夜なのに明るいわ」




お妙の真っ直ぐな答えには少しだけ胸が痛くなるのを覚えた






シーンと静まり返った部屋




お妙との声が隣の部屋で床に入っている新八と銀時の耳に静かに聞こえてくる


銀時は床に入って寝息を立てていたが、
きっと銀時は眠ってはいないだろうと新八は気付いていた








「月がどんなに綺麗でも私には見えない」

さん…」

「…ごめんなさい」




諦めている…
目が見えなくても笑って生きていける



もう会えない事も分かっているのに、
自分の中で諦められない事がたった一つだけある




銀時に会いたい…




その瞳から一筋の涙が頬を伝う


声を出さず肩を震わせて静かに抑えていたものが流れ、小さな嗚咽が漏れる
そんなの背を摩りながら「でも…あなたの瞳には月が映っているわ」と
お妙は優しい声で言葉を繋いでいく




ちゃんの瞳にはちゃんと月が映っているわ
 その目で見る事はできなくても見えることができるはずよ」




お妙のその言葉は、まるでの心を誰かに聞かせるような言葉だった



隣の部屋にいる銀時と新八は微動出せず、
黙ったままお妙との話に聞き入っていた






は生まれた時から目が見えない訳ではない
銀時と過ごした時間や記憶がある



記憶と時間という名の心の目ならどんなものでも見える




思い出という記憶と時間
はお妙の言葉にゆっくりと頷く




銀さん…
あなたの周りにいる人はみんな銀さんに似ている




銀さん、きっとあなたは今幸せね



の顔に次第に笑顔が戻っていく




「ふふふ…お妙さんありがとう」

「あらいやぁね、もっと言って」

「あはははは」

「お妙さんと話していると、昔からずっと友達だったような気がします」

「何言ってるのよ、私たちはもう友達でしょ」






とお妙は遅くまでいろいろ語り合った
それはまるであの頃に時間が戻ってきたようだった




あの頃、私たちはいつも一緒だった
…というか、日本の未来を熱く語る志士たちにくっついていたのは私の方だった



彼らを支援していた父の元で私は彼らと親しくなっていった



坂本さん、桂さん、高杉さん…そして銀さん…




熱い彼らの誇りは私にとっても誇りで
ずっと共に一緒にいたい、共に戦いたいと思っていた


だけど母が病に倒れ、私はそこを去らなければならなくなった




どこにいても、離れていても俺たちは共に未来を夢見る仲間だと
それが別離の言葉だった



それはたった数年前のことなのに
遠い遠い昔に置いてきてしまったように懐かしく思える




もうあの時の約束は忘れていいと…私は今幸せなんだと…




それだけを伝えたい






「お妙さん……私…結婚するんです」と、静かに語るの口調は
隣の部屋で眠っている誰かに伝えているようだった




「…そう……じゃあちゃんは今幸せね」

「はい、とっても」






さんが結婚…?




新八は「さん…結婚するんですね」と、銀時に声を掛けた
しかし、銀時はわざとらしく寝返りを打って、
「あー?」と今まで寝ていたように振舞った




「新八、まだ起きてたのー?子供の時間は過ぎてますよ〜」




自分だって気になって起きてたくせにと言いたかったけど、
僕はもう一度「さん、結婚しちゃうんですね」とだけ言った



銀さんはその時、嬉しいような寂しいような…そんな複雑な顔をしていた



でも、それが銀さんの言う大人の事情かどうかは分からないけど
「いいんじゃないの大人なんだからさぁ」って、銀さんは笑ったんだ




「まさか結婚相手って……銀さん…じゃあないですよね?」なんて
そんな事有り得ないのに、さんと銀さんだったらいいかなぁと
少しだけ思っている僕もいて、冗談めいて言ってみた




「何言ってるの?何言っちゃってるのよ新八くん!
 彼女は財閥の一人娘でっしょーがっ!!」




銀さんはそんな風に答えていたけど、さんが財閥の一人娘じゃなかったら
その気になっちゃうのかと、そんな思いが頭を掠めた




「そりゃあそうですよね…銀さんが財閥の婿になるなんて
 地球が滅亡してもありえませんもんね…あはは」

「否定しちゃったよ、思いっきり否定かよ オイッ
 少しくらいは銀さんにお似合いよ〜とか言ってくれてもいいんじゃないの?」




ハイハイ、まったく素直じゃないんだから…



だから僕も素直にさんと銀さんがお似合いだって言ってあげません




「いや…それ、無理ですから」




新八がそう言うと銀時は軽く舌打ちをしてごろりと布団に寝転んだ






ふざけて、茶化して、それはいつもの銀時と変わりはないが、
その姿が新八には寂しそうに見えてしまうのだった






「いいんですか?」

「あ〜、なにが?」

さんの事ですよ」

「だから?」

「だからって…ハナクソほじっている場合じゃないでしょ
 結婚しちゃうんですよ…分かってるんですかっ?」

「いいじゃねぇか…が誰と結婚したってよ
 ももう子供じゃねぇ、自分で決めたんだよ…大人なんだよ」

「銀さんは本当にそれでいいんですか?名乗らないんですかっ?」

「名乗ったでしょーが…俺は坂田銀八だってさぁ〜」

「そうやって嘘ついて…逃げちゃって…銀さんこそ大人になったらどうなんです?
 さんが好きなら好きって言っちゃえばいいんですよ」

「新八っ!!」






怖かった
銀さんの顔が本気で怖いと思った



僕の胸座を掴んだ銀さんの瞳に鬼気迫るものを感じた
でも、その手が微かに震えていた




まるで売り言葉に買い言葉のように、銀時との事情をよく知らないのに
つい口を出してしまった事に新八は後悔したが、
それでも互いの気持ちが伝えられないという大人の気持ちが分からなかった




「す、すみません…でも…でも、僕は…」




後悔の裏にある新八の強い意志。
それはきっとと同じ思い、銀時に幸せになって欲しいというものだった


真っ直ぐに銀時を見据える新八に、銀時は静かに溜息を洩らした




「大人にはなぁ新八…大人の事情ってぇもんがあるのよ」

「お、大人大人って…自分の気持ちも素直に言えない様な大人になんて…
 僕はなりたくありませんっ!」

「あぁ、お前はそんな大人にならねぇよ…っていうか、ならないでほしいもんだ」

「銀さん…」

「新八…男はな……男っちゅうもんは惚れた女には幸せになってもらいたいと
 常に願っているもんだ」

「だ、だったら…銀さんがさんを幸せにしてあげればいいじゃないですか」




銀時は新八の肩をポンと叩いて、それから小さく笑う
そして、新八の頭をまるで子供にするようにくしゃっと撫でた



新八がそんな行為に苛立ちを覚えて
「そうやって子ども扱いをするのはやめて下さいっ」と声を荒げると
銀時は「お前は子供だよ」と突き放すような言い方をした




「そうかもしれないけど…銀さんが思っているほど子供じゃありません」

「そうやってムキになって…真っ直ぐなところが子供だって言うんだよ」

「い、いいじゃないですかっ!そんな大人がいたって…」

「ま、いいんじゃないですか〜そんな大人がいたってね
 だけどな新八……女の幸せを願う形は一つだけじゃねぇんだよ」




銀さんはそう言うと、また布団にごろりと寝転んだ
わざとらしく僕に寝息を聞かせるような真似までして…




背中を向けてしまったから銀さんの表情は分からなかったけど、
銀さんの幸せを願う形は一つじゃないと言う言葉に僕はもう何も言えなかった






新八は自分も布団に潜り込むとそのまま目を瞑った






いつしか新八も眠りに入り、小さな寝息を立てている




銀時は新八が寝たのを気配で察すると、ふいに起き上がって布団の上に座り込み
新八の顔を覗き込みながら自分の頭をガシガシと掻いた




「オイ新八、勝手に成長してんじゃねぇよ
 ったく、この銀さんに意見するなんてなぁ…」




銀時は少しの間、懐かしい思い出に浸っていた






幸せを願う気持ちは一つじゃない








そんな思いを胸に…
















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