素材 Abundant Shine 様
初 恋 1 私の通う立海大付属高校の校舎の裏にある駐輪場 自転車通学の私は遅刻ぎりぎりで慌てて自転車を留めようとした 「鍵よし、チェーンよし…さあ急がなくちゃ」 カゴからデイバッグを取り、ヒョイと肩にかけようとした瞬間、 バッグが隣に留めてある自転車のハンドルにぶつかりは一瞬嫌な予感がした 「わっ」 予感的中 急いでいる時に限ってこれだ 案の定自転車は不協和音を立てて倒れていく 間の悪い事にのバッグが当たって倒れた自転車は隣の自転車に、 そしてその自転車はまた隣へと次々に被害を及んでいく 結局、ドミノ倒し式にの留めた列の自転車は見事なまでに 最後までゴールするように倒れていった 「ちょっと勘弁してよ」 自分の所為とはいえ、完全に遅刻決定のチャイムが鳴り響く中、 は苛立ちながら倒れた自転車を一台ずつ起こしていった 「見事なもんじゃのう」 背後から、この事態をまるで面白がっている様な声が聞こえてきて が「は?」と不機嫌そうに振り向くと、そこにはアッシュ色の髪を後ろで一つに束ねた男の子が しゃがんでいて厭味ったらしくニヤニヤ笑っていた 「随分ときれいに倒れたな」 だからなんだって言うのよ… 苛立ちを隠せないは「そうね」と無愛想に答えた 「こりゃ大変じゃ、ゴクローさん」 「そう思うなら手伝ったりする気はないの?」 「ない」 なんなのよ、この軽そうで意地悪なやつは… 「だったら、さっさと教室に行けば?」 「いや、こっちの方が面白そうじゃ」 人が困ってるのがそんなに面白い訳? あ〜、やだやだ…今日は本当に朝からついてない はプイッと目を背けると黙々自転車を起こす作業を続けた 「なあ」 「……」 「これ、お前さんの自転車か?」 「……そうだけど」 「少し貸してくれんかの」 なんて図々しいんだろう 人が困っているのに知らん顔して… それなのに自転車を貸してくれ?冗談、誰が貸すものですか 「自転車くらい借りても減るもんじゃないだろ?」 「確実にタイヤが磨り減ります」 「ぷっ…くっくくく…」 「なっ…何がおかしいのよ」 どこまで失礼な人なの? もうこの人と話すのはやめよう、がそう思っていると 彼は突然立ち上がってぺこりと頭を下げてきた 「急用なんじゃ…悪いけど貸してくれ」 これが彼流の手だったなんてこの時は知らなかったから… 私だって鬼じゃないもの、頭を下げられたら無碍にもできなじゃない? は渋々だったけど自転車の鍵を彼に渡した 「サンキュウ…お前さんのクラスと名前教えてくれ」 「え?」 「あとでこれ返しにいくから」 そう言って、たった今受け取った鍵を指先でくるっと回した 「あ…2年A組の」 「A組?…ふぅん、真田や柳生と同じクラスか」 「知ってるの?」 「ちょっとな」 「じゃ、ちょっと借りるき」と、背の高い彼は私の自転車に窮屈そうに跨ると小さく笑った 「あ、ちょっと待って」 「ん?」 「あなたは?あなたの名前は?」 すると、彼は不思議そうに私を見つめてきた なに?私は名前を聞いただけなのに…いけなかったのかしら? 「俺の事を知らないやつがいたとは……お前さんは貴重かも…な」 「はい?」 なに?貴重って…もしかしてこの人有名な人なの? この時のはまだ、彼がテニス部で女の子に人気があり、 そのプレーから詐欺師だとかペテン師だとか言われている事は知らなかった 「まあいいか…俺はC組の仁王雅治」 「あ、うん…わかった」 その後、私は背の高い彼が私サイズの自転車に乗る姿を少し滑稽に思いながら 小さくなっていく自分の自転車を見送った 「」 昼休み、友人と教室でお弁当を食べていると仁王君が教室に入ってきた 「おや、仁王君がここに来るなんて珍しいですね」 「ちょっと用事があってな」 教室の入り口で柳生君と一言二言軽く言葉を交わした後、私のところに来て鍵を差し出した 「これサンキュウな」 彼は、にそう言って自転車の鍵を手渡すと直ぐに背中を向けたが、 「おっと、そうだった…コレ、お前さんにやる」と、紙袋を差し出した 「なにこれ?」 「景品」 「は?」 「ゲーセンの戦利品…自転車の礼とお前さんの朝の頑張りにな」 「あ…ありがとう……って、ゲーセンってなに!?急用とか言ってなかった?」 「ははっ、まぁまぁ…そんなに怒りなさんな お前さんの自転車は役に立ったきに」 仁王は軽くを交わすと、ひらひらと手を振って教室を出て行った 途中、真田君にすごく怒られてたみたいだけど… 「仁王君にやられましたね」と、柳生君が笑ってたけど この時の私にはまだ仁王君のことは判っていなかった 仁王君が教室を出てから空気が一瞬にして変わった 体中に突き刺さるような視線 なんなの?けっこう痛いんですけど… 「っ!アンタいつの間に仁王と?」 「なんのこと?」 「惚けてるんじゃないわよ、いつの間に仁王と親しくなったのよ」 「親しく…?」 は慌ててぶるんぶるんと大きく首を横に振って否定した 「ち、違うって…朝、偶然会って自転車を貸しただけだよ」 「ふぅん…それよりさ、は仁王に恋しちゃダメだよ」 「いきなりなんなのよ」 「恋をした事のないには仁王はレベルが高すぎるってこと」 「随分な言い方じゃない」 「だってさぁ、って恋したことないでしょ?」 「し、失礼ねっ!好きな人くらい居た事あるわよ」 すると友人は人差し指を立て、の目の前で左右に振り、 「のは恋じゃあないって」と笑った そりゃあね、胸が痛くなるほどに男の子を想った事なんてないわよ 好きになってもせいぜい2〜3ヶ月くらいで、 そのうち女の子と遊んでる方が楽しいって思うくらいだしね 「だいたいさぁ…仁王君って何者よ」 私の言葉に周りの友人たちは途端に呆れ顔で見つめてきた そんな大ボケな私に同情したのか友人たちは、 それはそれは親切丁寧に私情を交えて彼の事を教えてくれた 彼、仁王雅治は常勝立海付属高校のテニス部レギュラーで、柳生君とダブルスペアを組んでいて、 そのプレイは華麗でコート上ではペテン師とか詐欺師とか言われているらしい 華麗なのにペテン師?詐欺師? なんかよく判らないけど、皆が熱く語ってるから何も言えない… でも、テニス部だったから真田君や柳生君の事を知ってったんだ な〜んだ…だったら初めからそう言えばいいのに… 熱く語られた彼のことを、私はと言えば 『はぁ…』 『ふぅん…』 『へぇ…』 『ほぅ…』と、ハ行で答えながら聞く事しかできなかった そんな私に友人たちは冷ややかな視線を投げると 「が恋を出来ない理由がわかった」と苦笑した それから暫くして、私は思い出したように仁王君がくれた戦利品の入っている紙袋の中を覗くと いわゆるクレーンゲームで取ったと思われるお菓子が沢山入っていて、 そのお菓子の中に横たわるように手のひらサイズのマスコットが入っていた なにやらそのマスコットは滑稽なものだったけど愛嬌があったので は自分のデイバッグに取り付けてぶら下げた 指で軽く突くとユラユラと揺れて更に滑稽さを醸し出していた はまだ本当の恋を知らない それでも少しずつ『恋』という名の花の蕾がそこまで芽吹き始めている事に事に はまだ気づいていなかった TOP NEXT |