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勉学に剣術に努力をして向上していく兄さんをいつだって尊敬していた
いつも兄さんと一緒に、いつまでも兄さんの隣に居たかった




も兄さんのようになりたい」




それがの口癖だった だが兄さんは寂しそうに笑って
「お前はいい子だ そのままでいなさい」と大きな手で頭を撫でてくれた




そんな兄さんの温かい手が大好きだった










絆 1










真選組の参謀、伊東鴨太郎が妹のと久しぶりに江戸に帰って来た



故郷から江戸へ出て来る時、鴨太郎はも共に連れて来た
鴨太郎は北斗一刀流でも学ばせ、後に近藤に魅入られ兄妹共に真選組に入隊した


土方と沖田はが女という事で入隊を認めていなかったが
近藤の口添えで何とか認めてもらう事が出来た



その後、数々の功労を上げたの仕事ぶりで誰もが認める真選組の隊士になった



真選組では暫く忘れていた暖かい空気に包まれながら絆を結んでいた…そんな気がしていた



そんなある日、これからの真選組に不可欠だと鴨太郎の提案で新型の武器を取り入れる事になった
その為幕府から資金を調達する為に鴨太郎はその役目を自ら請け負った



そして江戸を出る時、鴨太郎の片腕としても連れて行く事になった




「え〜、ちゃんも行っちゃうの?寂しくなるなぁ」と山崎は名残惜しそうに言い、
沖田は「もう帰って来るな」と憎まれ口を聞き、土方は一言「気をつけな」とだけ言った



それぞれの言葉を胸に鴨太郎とは江戸を後にした




「行って来ます」












そして、数ヵ月ぶりに二人は江戸に帰って来たのだった




懐かしいかぶき町の空気に触れは大きく深呼吸をした
吸い込んだ空気の匂いは楽しかった懐かしい日々を思い出される


新型武器を含め荷物は先に送ってある
後は鴨太郎とがその身一つで真選組に戻ればいい…そう思っていた




「兄さん、直ぐに真選組に顔を出すんでしょ?」

「そうだな…だが、戻るのは僕だけだ」

「え?どうして?」




鴨太郎はその事には答えず、真選組とは遠く離れた一軒の家へを連れて行った
平屋のそう大きくない一軒家、鴨太郎はそこに住むように命じた




「ここに私が?どうして?」

「心配しなくていい、僕も時々は帰ってくるさ」




そんな事が訊きたいのではなく、何故自分は真選組に帰ってはいけないのか、
だが、鴨太郎は「お前は僕の言う事を聞いていればいい」と一喝するのだった




「近藤さんに会いたかったなぁ…総悟くんや山崎さんは元気かな?……土方さんは…」




が独り言のようにポツリと呟くと鴨太郎は鋭い視線を突き刺して
「そのうち嫌でも会えるさ」と唇の端に笑みを浮かべた




え?どういうこと?



鴨太郎に確認したかったが、兄が漂わせている異様な空気には何も訊く事が出来なかった




「では、行って来る」

「あ……行ってらっしゃい」




さっきのは自分の見間違いだったのかと思う程、
鴨太郎はいつもの優しい兄の顔に戻っていた










今夜は月が綺麗…


が縁側に降りて月を眺めている頃、鴨太郎は真選組に迎え入れられていた






「伊東……はどうした?一緒じゃねぇのか?」

「おや?土方君はの事が気になるようで…」

「フン、そんなんじゃねぇ…」




アイツも一緒に帰って来ると…そう思っただけだ



宴会の席で雄弁に語る鴨太郎に嫌気がさして土方は席を立った








それから1週間、は兄の言いつけを守り家に閉じこもっていた


苛立つ思いを消し去るように庭で剣の稽古を続けていると、突然鴨太郎が帰って来たのだった




「太刀筋が乱れている」

「兄さん……お帰りなさい」




は訊きたかった、真選組の皆の様子を…
だが、鴨太郎は「稽古の相手になってやろう」と木刀を握った



いきなり打ち込んできた木刀をは咄嗟に弾いた
カーンと木刀の小気味いい音が響く




「遅い」




避けた兄の木刀が弧を描いて頭上に振り下ろされ、寸での所で止まった




「今のでお前は死んでいたな」

「…はい」

「剣を振るう時は迷いを捨てる事だ」




兄は学ばなければいけない事に対してはいつも厳しかった
鴨太郎を尊敬していたも常に兄は正しいのだとそれに応えていたが
久しぶりに剣を交えて少し複雑な思いを抱えた


いつもの真っ直ぐな剣筋ではなく、どこか違和感があった




「ね、兄さん…まだ真選組に戻っちゃダメなの?」




不意のの言葉に鴨太郎の顔色が変わった
だが、直ぐに何事もなかったように「今はまだ…時期ではない」と平静を装っていた


「え?時期って?どういう事?」と疑問を投げかけると
鴨太郎は何も答えず顔を曇らせ、まるで周りの様子を窺っているようだった




何故直ぐに真選組に戻ってはいけないのだろう…
戻る時期ではないというのはどういうことなのだろう…
どこかいつもとは違う兄の様子には言葉を失った




「暫くここに居る事になる…僕の事は構わなくていい」




鴨太郎はそれだけ言うと部屋に閉じこもった



鴨太郎はその言葉通りを部屋に近づけるのを避け何日も部屋から出て来なかった
どこか様子のおかしい鴨太郎を心配して何度か声を掛けたが、その都度「僕に構うな」と声を荒げた


それから幾日かして鴨太郎は真選組に戻って行った
しかし、また数日経つとの所に帰ってくる


そんな事が何度も続いて、も不安を覚えた




江戸に帰って来てからどこか兄さんの様子がおかしい
思い切って問い質すが、兄の言葉はいつも決まっていた




『僕に構うな』




兄に、真選組に何かあったのか?
何も語らない鴨太郎の様子は一層を不安にさせた




「兄さん、一体何があったの?」

「お前には関係ない…知らなくていい事だ」

「でも……もし、私に出来る事があるなら…」

「お前に出来る事など何もない」

「そんな…私たち兄妹なのに……」

「…兄妹?」




兄はその言葉に過敏に反応した




鴨太郎の冷やかに見下した瞳が恐かった
兄のこんな瞳の色を見たのは母が兄を拒絶した時以来だった



兄は私を拒絶している?




がそっと鴨太郎の顔色を窺うと、
どこか遠くを見ながら「所詮人間は一人きりだ」とポツリと呟いた




「…兄さん」

「出掛けて来る…お前は先に寝ていなさい」




そう言って鴨太郎が出掛けた後、は嫌な予感がしてなかなか寝付けなかった
庭から見える月がやけに近く、大きくて…より深い不安に襲われた




それから暫くの所に居た鴨太郎は夜毎出掛けるようになった
出掛けては空が白々と明けてくる頃帰って来る




やはりどこかおかしい…



一体兄は何をしているのだろう




一抹の不安が全身を駆け抜け、は兄に内緒で真選組に戻ってみようと思った
もしかしたら、近藤さんや土方さんが知っているかもしれない



もしかしたら任務で行動しているだけなのかもしれない



なるべく悪い方に考えないようにと言い聞かせながらは朝が来るのを待った






ようやく東の空が明るくなってきた頃兄は帰って来た
そして、静かに自分の部屋に入ると暫く起きているようだった




は鴨太郎が寝入るのをずっと待っていた






鴨太郎の部屋の明かりが消えて間もなく、は部屋を出て兄の様子を窺った
静かに障子を開けると兄の寝息が聞こえてきた



は鴨太郎が眠っている事を確認すると、音を立てぬように玄関に向かった






草履を胸元に隠し、音がしないように静かに玄関の戸を開けようとした時
光るものが視界に飛び込んできては思わず身を竦めた




「どこへ行く気だ?」




その声に身体を固くしながら恐る恐る振り向くと、
眉を吊り上げ鋭い眼光で睨みつける鴨太郎が立っていた



その手には真剣を持ち、その刃先がに向けられていた




「どこへ行くのかと訊いている」

「か、買い物に…」




何て、バカな答え方をしたのだろうと思った




草履を胸元に隠し持っている上に、何よりもこんな朝早くから開いている店などある訳がないのに…




「部屋に戻りなさい」

「だけど兄さん…」

「真選組に戻るにはまだ時期ではないと言った筈だが…?
 言う事を聞かないならお前を斬らねばならない…僕はお前を斬りたくないのだ」




私を斬る? なぜ? 何のために?




自問自答しても答えは出てこなかった


ただ、兄に向けられている刃先には何の迷いも感じられなかった




「部屋に戻りなさい」

「は…はい…」




抜け落ちそうになった腰を引きずりながら、やっとの思いでは部屋に戻った








もはやの抱えている不安が不信感に変わった瞬間だった















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2009/11/19