素材:Abundant Shine









俺に本当の音楽というものを教えてくれたのはお前だったのかもしれない



だから俺は

お前のために弾き続けたい










For you










「オッス、つっちー」




同じクラスのは朝から無駄に元気で
挨拶代わりに俺の背中を叩き、スカートを翻しながら走っていく




「ちょっと待てよ」




俺が声を掛けると走り出した足をキュッと止めて
意外そうな顔を向け「なあに?」と少し面倒くさそうに言葉を返してきた




「つっちーって何だよ」

「え?土浦のことだけど」




はあっけらかんと答えるが、そんな事は俺にも解るさ
ただ俺が知りたいのは何故俺を『つっちー』と呼ぶのかということだ

俺が不機嫌そうに睨んでも、は動じる事もなく
「何か問題でも?」と月森っぽく聞いてきた


俺にはそれが何となく面白くなくて、『つっちー』と呼ぶなと釘をさした




「ふぅん…、それじゃ梁くんとか梁ちゃんの方がいい?」

「なっ…」




多分俺は誰の目にも解るほど赤面していただろう

家族以外でそんな風に呼ばれた事はない
聞きなれたの声が妙に女っぽく感じて戸惑いを覚えた




「ねぇ、どっちがいい?」

「つっちーで…いい」




は俺の動揺を見逃さなかったのか、クスクス笑いながら了解と答えた
後悔しても時既に遅く、俺は自ら『つっちー』という呼び方を了承してしまった




「なぁ、一つ教えろよ…何でつっちーなんだ?」

「別に理由はないけど、他の人と同じ様に呼ぶのはつまらないから…かな」




つまらないねぇ

確かに俺の事を『つっちー』なんて呼ぶヤツは他にはいないよな




その日からは俺の事を『つっちー』と呼ぶようになり、
俺もいつの間にかそれが当たり前のようになっていた


慣れというものは恐ろしいものだ




そんなある日の放課後、俺はいつもの様に練習室でピアノを弾いていた


課題の曲の解釈がどうもスッキリしなくて、
何回弾いても思うような音が出ずに少し苛立っていた


気分を変えようと窓を開け、ふーっと大きく息を吸い込む


校庭の隅にサッカーボールが転がっているのを見つけると、
吸い込んだ息が溜息に変わった



最近、蹴ってないよな…




恨めしげに孤独感を出しているサッカーボールを見つめていると
聞き慣れた声が耳に飛び込んできた




「つっちー、サッカーやらない?」

「は?お前と?」

「そうよ」




苛立ちが一段階上昇する




「お前とじゃ勝負になる訳がないだろう?」

「逃げる気?やってみないと分からないじゃない」

「やらなくても分かるさ」




徐々に苛立ちが上昇していくのを覚えながら、
「そんな暇はない」と俺は練習室の窓をピシャリと音を立てて閉めた




のヤツ、一体どういうつもりだ?




土浦は気を取り直してピアノの前に姿勢を正して座ると大きく深呼吸を一つした
そして、鍵盤に軽く指を乗せると課題曲を弾き出した








違うんだ



俺が求めている音はこんなんじゃないんだ




土浦は睨みつけるように目の前の楽譜を直視する
何度弾いても同じ箇所で躓き、悩んでしまう


落胆の溜息が洩れると、窓の外からまた苛立ちの原因の一つの声が響く




「下手くそ〜〜〜!」

「なんだと…」




土浦は鍵盤を両の手で打ちつけた


バンと大きな音が響いたが、の下手くそコールは続いていた
苛立ちが沸々と湧き上がり、土浦は窓を開けると強い口調で言った




「いいかげんにしろよ」




しかし、彼女は土浦が拍子抜けするくらいにあっけらかんとした表情で
「やっと開けてくれたね」とVサインを作って笑っていた




…、お前どういうつもりだ?」

「何が?」

「何がって…今、下手くそとか言わなかったか?」

「言ったわよ」

「どういうつもりなんだ?」

「別に…下手くそだから下手くそって言っただけよ」




は悪びれるでもなく土浦を見つめて平然と言ってのけた




「音楽の事なんか何も解らないお前に何が解るんだ?」

「何それ?私が音楽に関しては素人だって言いたい訳?」

「あぁ、そうだ」




この時、俺は確かに上から目線でを見下していたかもしれない

だが、は呆れたように溜息をつくと「バカじゃないの?」と
小さい声だったが確実に俺に聞き取れる声で呟いた




「どういう意味だ?」

「あのさぁ…、確かに私は楽器とか出来ないし、楽譜も読めないよ
 土浦から見たら素人かもしれないけどさ…でも…音楽を聴く人はみんな
 プロだっていうの?素人は音楽を聴いちゃいけない訳?」

「何が言いたい?」

「土浦さ、普通科から選ばれて調子こいちゃってるんじゃないの?」

「何だと!」

「悔しかったら
 クラシックを知らない人に楽しさを教えてくれる音を出してみたら?」

「なっ…」




は足元のサッカーボールを拾い上げると「邪魔して悪かったわね」と
背中を向けたまま軽く片手を振るとそのまま帰って行った




正直俺はぐうの音も出なかった



唖然との背中を見送る事しか出来なかった




いつの間にかの口は『つっちー』ではなく『土浦』と呼んでいた事が、
俺に対して呆れてしまった事を表していた



アイツの言っていた言葉が耳に残る




『クラシックの知らない人に楽しさを教えてくれる音』




まいったぜ


俺が一番解っている事をアイツに指摘されるなんてな








翌日の放課後、アイツは校庭の隅で校舎の壁を相手にサッカーボールを蹴っていた


スカートを翻してボールを追いかけている様はどこか滑稽なのに
つまらない事で悩んでいた俺の方が滑稽に思えた




「よう」

「……」

「相手してやろうか?」

「どういう風の吹き回し?」




本当の音楽というものに気付かせてくれて感謝をしているつもりなんだが
どうもそれを口にするのは照れくさい


「久しぶりに蹴りたくなった」などと見え見えの言葉を口にすると
はそれを察したかの様に含み笑いして俺に向かってボールを蹴ってきた



俺たちは昨日の事を互いに口にする事もなくボールを蹴り合う
言葉がボールに乗っていくみたいで、まるで音楽を奏でているみたいだった


『音』という『言葉』が演奏者と聴衆を繋いでいく感覚
今ならきっと納得した解釈で弾くことができるだろう


俺はからパスをされたボールをドリブルで運び、
ゴール前で思いっ切り蹴り上げた




「つっちー、最高!」




ゴールネットにボールが吸い込まれた瞬間、が声を張り上げた
嬉しいような恥ずかしいような、それでいて清清しい気分。


俺はの元へ駆け寄ると練習室に付き合って欲しいと頼んだ




「練習室?」

「あぁ、お前に聴いてもらいたい」

「よし、聴いてやろう」

「ははっ」




のこういう上から目線的ものの言い方、嫌いじゃない
お前ならきっと俺の音を聴き分けてくれるだろう


だから今はお前の為に弾きたい






練習室に行くとは真っ直ぐに窓辺に向かった
そして、窓を開けると心地良い風が流れ込んできてカーテンを揺らした


はそのまま外を見つめたまま背中を向けている
だが、その背中は優しく見えた



俺は静かに楽譜を開きゆっくりと深呼吸をする



ひんやりした鍵盤が指先に伝わりメロディを奏でていくと
背中合わせになっているお前の呼吸と重なっているようで一体感が生まれた






俺はお前の為に弾いている


なぁ、届いているか?






最後の小節を弾き終えると、
は振り返って納得したように頷きながら微笑んでいた




「つっちー、やるじゃない」

「当然だろ」

「よく言うなぁ」




は「すごく優しいメロディだった」と、人差し指で鍵盤を軽く叩いた


その指先を見ていたら、お前にピアノを好きになってもらいたい
俺の奏でる曲をいつも聴いていて欲しいと、そう思った




…」

「ん?」

「サンキュウ…な」

「何が?」

「お前が忘れかけていたピアノを弾く事の楽しさに気付かせてくれた」




俺が礼を言うなんて思いもしなかったのかは一瞬驚いた顔を見せたが
直ぐに「当然でしょ」とピースサインを掲げて笑った




そんなお前だから…




俺の思いが届くまでお前の為に弾き続けよう






な、いいよな?















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