素材 Abundant Shine









例えるなら、それは桜色




近頃妙な夢を繰り返し見る



それは何もない空間にピンク色の靄がかかり、何やら遠くに人影のようなものが見え
その人影は夢を見る毎にどうやらこちら側へ近づいて来ているようだ




やはり、ぼんやりにしか見えないのは眠る時に眼鏡を外すからだろうか…




今夜からは眼鏡をかけたまま眠ってみようか…










メタファー










珍しく生徒会からも竜崎先生からも声の掛からなかった昼休み
少しだけ開いている教室の窓から心地良い風が吹き込んできてカーテンを揺らしている



読みかけの本を手に過ごしていると、ふと夢の事を思い出した




やはり眼鏡を外して眠っている所為だろうか…






そんな事を思いながら何気なく窓の外に目を向けると
夢の中と同じように映る風景がぼんやりと見えた


だが、特別桜色のフィルターが掛かっている訳でもなかった



焦点を合わせるように少し目を細めてみたが、やはり校庭の風景は変わる事はなかった




我ながら何をしているのだと苦笑しながら眼鏡を掛け直して本に目を戻すと彼女の声が聞こえた






彼女、は俺の前の席で自分の椅子の向きを変えると
俺の机に頬杖をついて「初めて見た」と楽しそうに笑っていた


俺が「何がだ?」と訊ねると「手塚くんの眼鏡を外した顔」と
まるで宝くじにでも当たったかのように喜んでいた




「そんなに珍しくもないと思うが?」

「うぅん、珍しいよ…私ラッキーかも」

「変なヤツだ」

「へへっ…、でも手塚くん眠たそう…」






俺の眼鏡を外した顔が眠たそうな顔に見えるということか?



複雑な思いでを見ると、「疲れているんじゃない?」と彼女は目を細めた




「そんな事はないが…」

「そう?…あ、もしかして余計なお世話とか思った?」

「いや…」

「ふふっ、そんな疲れている手塚くんにはこれをどうぞ」






どうやら彼女の中で俺の疲労感は決定事項なようで、
は小さく笑いながらポケットから飴玉を一つ取り出すと開いてある本の上に乗せた






「べっ甲飴…?」

「うん、疲れた体には糖分がいいんだよ 糖分が五臓六腑に染みわたっちゃうから〜」





彼女は本当に変わったやつだと思った



可愛らしく包装された小さなキャンディを持っている女子は見た事はあるが
べっ甲飴を持っている女子を見たのはが初めてだった



しかも五臓六腑に染みわたるなどと、こういう時には使わないだろ?






「あ、もしかしてお菓子を学校に持ってくるなんて校則違反だぞって思ってる?」






思わず口許が緩みそうになる



彼女はいつだってそうだった




俺に話しかけると、返事を待たずに勝手に俺の心を代弁するかのように「もしかして」と続けるのだ
は俺がこう言うだろうと先回りをして代弁するが、そのほとんどが外れている



以前にも消しゴムを忘れたと言って俺に貸してくれと言いながら、
「もしかして事前に用意を怠るからだ…とか思ってる?」と沈んでいた事もあった




俺の答えを想像して勝手に落ち込んだり喜んだりしている姿は興味深い
見ていて飽きないというのが事実かもしれない






、お前はべっ甲飴が好きなのか?」




俺がそんな事を聞くとは思わなかったのか、は意外そうな顔を俺に見せた




「う、うん…好きだよ でも他にもあるけどね」




は笑いながらポケットから幾種類かのキャンディを机の上に広げた



これだけのキャンディがあるのに何故べっ甲飴を俺に?そう問い掛けるように彼女を見ると
は「手塚くんにはべっ甲飴が合うと思ったんだ」と笑った



確かに彼女は俺の求めていた答えをくれたのだが、
べっ甲飴が俺に合うというのはどういう意味なのだろうか?


と話していると次々に疑問が湧いてくる気がするのだが…






「もしかして…俺はそんなに年寄りくさいかって思った?
 ち、違うからね…べっ甲飴ってそんなに甘くないし……だから…」




段々小声になり、最後の言葉は聞き取れないほどだった
は椅子を元に戻すと自分の机に突っ伏してがっくりと項垂れた






まったく早とちりなヤツだな



俺はお前の言う「もしかして…」とは思っていない
教師に間違えられた事もあるが、年寄りくさいとは思ってはいないんだがな…






「貰うぞ」




俺はそう言ってべっ甲飴をポケットにしまうと、
彼女は振り返って「うん」と嬉しそうに笑顔を見せた













翌日の昼休み、「今日も飴を持ってきているのか?」とに訊ねると
彼女は「食べる?」と嬉しそうに昨日と同じように幾種類かのキャンディを机の上に広げた


俺が「菓子を持って来るのは校則違反だ」と少し厳しく言うと、
は「えーっ」と昨日とは違う俺の態度にあからさまに肩を落とした



しかし、「没収するぞ」と広げられたキャンディの中から俺がべっ甲飴を一つ取ると
の顔がみるみる明るくなって、褒められた子供のように嬉しそうに笑った










放課後、没収したべっ甲飴を口に含むと
の言葉じゃないが五臓六腑に染みわたるような気がした


ほんのりとあっさりした味わいに彼女の笑顔が浮かんでくる




俺はの笑顔が見たかったのかもしれない








その夜、夢を見た




いつもと変わらない桜色のフィルターだが
以前と違うのは、ほんのりと桜色だった靄が少し濃くなっていた


そして、何より変化があったのは遠くに見えた人影が
どんどん近付いて来て俺の目の前に立った



その顔は見えないが、桜色の唇が優しく俺に微笑みかけていた



俺は自然に手を差し出しそれに触れようとしたが、どうやら夢はそこまでだった






目が醒めた時、俺はその微笑みを見た事があるとそう思った








翌朝、いつもより早めに登校して教室で本を読んでいた



ひんやりとした空気が流れる朝の教室
時間を追う毎に静寂だった場所が次第に賑やかになってくる



挨拶を交わしながら暖かくなってくる空間が心地良い








「手塚くん、おはよう」




の声が聞こえると、俺は眼鏡を外して本の上に置いた






「今日もべっ甲飴あるよ〜」






そう言って笑う彼女の顔はぼんやりとしてハッキリ見えないが、
その唇は夢の中のものと同じだと俺は確信を持った




そして夢の意味に気付く






あの桜色の靄、そして優しい微笑み

あれらは全て俺がに惹かれていく隠喩






彼女に対する俺の思いが、あの桜色に代替されていたのだろう












授業を受けるの背中に俺は心の中でそっと呟く




「今日、一緒に帰るか?」






そう誘ったら彼女は何と答えるだろう








「手塚くん、もしかして私の事好き?」








そう言って笑うお前を想像しながら俺は答えを用意しておこう










「そうだな」















END









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