素材:clef








誰だ?コイツにとんでもないことを吹き込んだのは…


佐伯か?それとも針谷か?まさか予想外で氷上…?




正月早々、俺は餅を喉に詰まらせて死ぬかと思った










姫初め











朝から人ごみにまみれながら初詣を済ませ、
少々うんざり気味の俺はを半ば強引に家に連れてきた
晴れ着姿のに惑わされたのかもしれない


てっきり驚くと思っていた母親は「やっぱり女の子はいいわねぇ」と俺の前でしみじみと呟く
男で悪かったなと口に出そうになったが、あまりにも嬉しそうな顔をしているからやめた
おまけに、母親だけでなくまで嬉しそうな顔をしているからそれを訊ねると、
俺の家に初めて来られたのが嬉しいのだと満面の笑みを浮かべる


女ってそんなものなのか?俺はいつもより二倍速で心臓が動いている気がするんだが…








部屋に案内して向かい合って座る様は、
が晴れ着の所為か見合いってこんな感じなのかとした事もないのに思ったりする

初めてが俺の部屋に入って緊張しているはずなのに
どこか冷静になってたりして訳が判らなくなってくる
それでも、初めて見るの晴れ着姿は綺麗で
見惚れてしまいそうになるのを誤魔化しながら母親の焼いてくれた餅を口に運ぶ


そして、それは餅が喉を通る瞬間に起こった






「ねぇ勝己くん…姫初めって知ってる?」

「!!!」




この時の俺は、がとんでもないことを言い出したと驚いたのも事実だったが、
詰まらせた餅でこのまま死んでしまうのではないかと本気で思った

しかも、俺の脳裏に鮮やかに浮かんだものは…
『羽ケ崎学園の志波勝己君(17)が姫初めという言葉に動揺して喉に餅を詰まらせ死亡』


こんな記事が新聞やニュースで報道されたら、マジ死んでも死にきれないだろう




「勝己君…大丈夫?」

「げふぉ…げふぉ…」






俺は涙目になりながら、首を振って大丈夫だという事を伝える
それに安心したのかの表情も和らいでいった
しかし、まさかコイツがこんな事を聞くなんて…わざと俺を試しているのか?
いや、は俺の答えを期待に満ちた顔で待っている どうやら本気で知らないようだ…




「ねぇねぇ、知っているなら教えて!」

「う…あー…し、知らない…」

「知らないの?」

「い、いや…知っているかも…」

「え?知っているの?」

「あー…その…知っているような…知らないような…」

「もう!どっちなの?」




キスをしたくなってしまうような唇を尖らせて、俺に答えを催促するな
だいたい、何で俺が『姫初め』をお前に教えなきゃならない?思わず試したくなるだろーが…






「勝己君が知らないなら勝己君のお母さんに聞いてみようかな?」

「ばっ…な、なにをっ…」

「お母さんなら大人だからきっと知っているよね?」




は本気でお袋に訊きに行くつもりみたいで、座布団から腰を浮かし始めたので慌てて止めた



冗談じゃない

お袋に『姫初めってなぁに?』なんて聞いてみろ、
絶対それが目的でお前を連れ込んだと思われるに違いない

そういう気持ちがない訳でもないが、今はお袋もいるし避けたい…




俺が不振に視線を泳がせていると本棚の辞書が目に入り、
俺は見えないように小さくガッツポーズをとった




「そ、そんなに知りたいなら辞書で調べろ」

「辞書?」




は少し考えてから、「あ、そっか」とパンと手を叩き、まるで妙案でも思いついたように笑い出す



そんな言葉はどうせ辞書なんかには載っていないと俺は軽く考えていた
するとは立ち上がって本棚をあさり出し、目当ての辞書を見つけ出した




そして

俺でさえ滅多に開くことのない新品同様の辞書をテーブルの上で開き、真剣な表情で調べ始める




「えーと…ひ、ひ、……ひめ…」




一生懸命に調べるを可愛いと思った。だが、いくらなんでも『姫初め』なんてあるわけがない
例えあったとしてもどう説明してあるっていうんだ?

俺の辞書が広辞苑でなくて良かったと胸を撫で下ろす反面、
載っていなかったらやっぱり俺が説明しなくてはならないのかと、また不安が浮かぶ






「あった!」

「え゛!?」

「ほら、見てみて」




マ、マジかよ!?

その国語辞書は広辞苑ではないけど、金田一氏監修の辞書だぞ
天下の金田一氏が『姫初め』を監修しているというのか?




「な、なんて書いてある?」

「えーとね……種々の行事をその年初めて行うこと…だって」






種々の行事?


この時、俺が金田一氏を尊敬したことは言うまでもないだろう




は…ははは…そうだったのか…うまい事言うもんだな




「理解できたか?」

「……う〜ん」




そこで悩むな 納得してくれ…お前は俺より成績がいいだろう?




「種々の行事ってさ……例えばどんな事?」

「じ、辞書に例文が載ってないのか?」

「うん…ない」

「う……ま、まぁ…それはイロイロあって…だな」

「イロイロって?」




くそっ、最後まで責任持てよ金田一!




「あー…だから……いつもやっている事だけど…今年初めてやるっていうか…」




なんで俺が説明しなきゃならないんだ?頼むからそんな目で俺を見ないでくれ
親にも教師にも聞けない事を俺に聞くな




「いつもって……う〜ん…夢とか…?」

「それは初夢だ バカ」

「あっ、そうだったね…えへへ間違えちゃった」




えへへ…って


俺…なんか眩暈がしてきた






「じゃあ…今日の朝、勝己君に会う前にシャワー浴びたんだけど…それが姫初め?」

「は?」

「だって、今年初めてシャワー浴びたんだよ」

「い、いや……それは違う…と思う…」

「じゃあ歯磨きは?」

「…それも違うような…」






何を本気で悩んでいるんだ?もういいかげんに諦めてくれ

シャワーを浴びたとか歯を磨いた事だとか、そんなものが姫初めなら
世の中姫初めだらけになっちまう




こうなったら実力行使しかないのかよ

まぁ、少しくらいなら構わねぇよな?






……そんなに知りたいのか…?」

「うん!」




うわゎ…なんなんだ その期待に満ちた顔は……保っている理性が崩れていきそうになる




もう どうとでもなれ




俺は目の前で無防備な顔を向けているの首元に手を回すと、
そのまま引き寄せ、唇を重ねる












名残惜しそうに唇を離すと、は不思議そうに首を傾げた




「どうした?」

「…ねぇ……これが姫初め?」

「……まぁ…そんなもんじゃないか…?」
「うーん……でも…」

「な、なんだ?…問題でもあるのか?」

「だって……勝己君とキスしたのは今日が初めてだし…いつもやってないよ」

「そ、そんな細かいことは気にするな」

「そんな事言ってもさぁ…」

「別に…これからいつもすればいい事だろ?」

「うふふ、そうだね」




『勝己君と姫初めしちゃった〜』と暢気に笑うが単純なヤツで良かった
…俺は心底そう思った


事実はどうであれ、とりあえず納得はしてくれただろう…








「私、そろそろ帰らなくちゃ」

「ん?…あぁ、じゃあ送ってく」

「うん…ありがとう」




本当なら帰したくないが、今日のところはそうもいかないし俺はを送るために玄関に下りた
するとお袋までいそいそとやって来て「ちゃん、また遊びにいらっしゃいね」と見送った
嬉しそうに「はい」と返事をするを見ながら俺は心の中で呟く

フン…今度はお袋のいない時に連れてくるさ







しかし、世間知らずと言うか怖いもの知らずと言うか…


帰りがけには何やらお袋と話しているようで、
その内容は俺には良く聞こえなかったが、一つだけハッキリと聞こえた事があった




「勝己君と姫初めしちゃいました〜」













「「え゛っ!?」」






俺とお袋が同時に言葉にならない声を発したのは言うまでもない


これは二倍速どころの騒ぎではない
俺の心臓は光ファイバーの如く高速で脈打った






俺は慌ててを連れ、逃げるように外へ出た

閉めたドアの向こうから、鬼気迫る俺の名を叫ぶお袋の声が聞こえたが今は逃げるしかない




俺は今日はもう家に帰れないかもしれない…








今年初めてのお袋に説教をくらう日




これも『姫初め』というのか…?






なぁ…今度はお前が俺に教えてくれ















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タイトルに期待した方…すみませんm(_ _)m