素材:clef様
愛しい人の匂いは何よりも心地いい 「おかえりなさい」 そう言うと、景時さんは「ただいま」と目を細めて笑った 匂い 龍脈が正され穏やかに流れ、京に平和が訪れた 五行の力が満ち整い、白龍の力が戻り応龍がこの京を護っている 八葉の一人として景時さんと朔は様々な試練を乗り越えて帰って来た 白龍の神子が時空を超えるのを見送ったその後 それはある休日、空は雲ひとつなく青く澄んでいた 「ちゃん、今日はいい天気だね〜」 「うん、洗濯日和だよね」 「そうそう、まさしくその通りだよ」 頼朝さんから軍奉行の任を解かれる事のなかった彼は忙しい日々を送っているが 休日にはこうして風に泳ぐ洗濯物を眺めながら、縁側で穏やかな時間を二人で過ごす 幼馴染として育った私達は、今この京で暮らし始めていた と、言っても朔と景時さんのお母さんは鎌倉に住んでいるので 私たちは京と鎌倉を行ったり来たりしている生活だった 「ちゃんごめんね〜、なかなか落ち着けなくて」って、 景時さんはいつも謝るけど、私はけっこう今の生活を満喫している 何よりも景時さんとずっと一緒にいられるから… それを口にすると「俺もだよ」と優しい笑顔で応えてくれる 本当は恥ずかしくて言えない時もあるけれど、思いや願いは言の葉にすると叶うって 白龍が教えてくれたから、私は心にためている想いを言葉にする事にしている 「景時さん、いい匂いがする」 風に乗って微かに甘い香りが鼻をくすぐる 「梅の香りかな?」 後ろから抱きしめられて耳元に届く声に思わず酔いそうになる こんなにも近くにいるあなたが嬉しくて… 「でも、今は梅の季節じゃないよね?」 「そうだよねぇ」 景時は少し惚けながら笑みを浮かべると の目の前に一つのえび香を取り出して見せた 「あ…それ…」 「うん、ちゃんがオレにくれたものだよ」 「まだ持っていてくれたの?」 「当たり前だよ〜、大切にするって言っただろう?」 景時さんの指先でえび香がユラユラと揺れて、あの時の事が思い出される 京を離れる前、傍に居られない自分に代わって想いだけは連れて行って欲しくて 梅の香りが好きだと言った景時さんの為に朔と一緒に作ったものだったね でも、結局梅香の調合が上手く出来なくて景時さんに教わったんだったっけ… 景時さんが一番似合うと言ってくれた着物で香を包む生地を縫い合わせて、 無事を祈りながら一針ごとに想いを込めた 「景時さん、気付くかな?」 「うーん、兄さんは鈍感な人だから」 それでも、朔と二人で『バレなくてよかったね』って笑い合って 景時さんのために一生懸命作ったんだったよね あれから随分と長い時間が経ったような気がする えび香の香を包んでいる生地の色も少し褪せていた 「そろそろ新しいのを作ろうか?」 「そうだね…、でもこれはこのままでいいよ」 「え?…でも…」 「これはね、オレにとってお守りなんだよ」 「お守り?」 「そうだよ…これはね…」 景時さんは、このえび香を持っているとずっと私と一緒にいるようだったと言った これのお陰で今こうして君といられる 「だから、これはオレのお守りなんだよ」と、えび香を指先で軽くつつきながら笑う 今更ながらに知る 私達はどんな時も一緒に居て繋がっていたのだと… 「嬉しい…でも、それ褪せてきちゃってるし…」 「それじゃあ、今度は梅香じゃなくて木蓮の香りを調合しようか?」 「木蓮?景時さんは木蓮が好きなの?」 「好きだよ…木蓮は君の匂いだからね」 「え?…私の?」 「そうだよ、気づいていないのかい?ちゃんは木蓮の花の匂いがするよ」 そう言って項に寄せられた唇にドキドキしながら それでも、こんなに近くに感じられるこの時間が愛しい 「か、景時さんっ…ちょっと恥ずかしいんだけど…」 「…うん……オレも恥ずかしいかな〜…なんて」 顔を見合せながら互いに赤く染まっていくのが可笑しくて 少しだけ視線を逸らすと「うん、でもね…思った事は言の葉にしないとね」と あの日の白龍と同じ事を言って笑った そのくせ「あ、でもさ…やっぱりちょっと恥ずかしいからオレの顔は見ないでね」なんて 照れながらも「オレはね本当に君が好きなんだよ」と言葉を添えて優しく抱きしめてくれる 私よりずっと大人なのにそう言って子供のように笑う景時さんを可愛いとさえ思う 「もう、えび香はいらないね」 「作らないの?」 「うん…こうしていると君の匂いがいつでも感じられるからね」 オレはね本当にずっと君が好きだったんだよ 君はいつでも近くに居て、オレの汚れてしまっている手も心も全て知っていて 八葉だと知った時は君から離れるいい機会だと思った オレの手では君を幸せにすることが出来ないと思っていたからね でも、そんなオレに君は『オレの手がいい』と言ってくれたよね だからオレはこの手で、八葉ではない一人の男『梶原景時』として 君を幸せにするって決めたんだよ これからはずっと君の傍にいるよ ずっとね 君のその柔らかい匂いに包まれて… あたたかい風が吹いて 梅の花と木蓮の花の香りがオレたちを包み込んでいく 「ちゃん、今日は本当にいい天気だよね〜」 END BACK 2007/03/21 |