素材:Abundant Shine様
「最近、お前さんの音が変わってきたなぁ」 金やんはそう言って傍らに居た柚木に視線を流した それを受け柚木は「さあ?」と長い髪を指先で静かに払い、さり気なく視線を逸らす 何となく居心地が悪くてオレはトランペットを抱え、屋上に足を向けた そして、そこには君が居た 君色のメロディ 「あ、火原先輩…練習ですか?」 「うん」 君はそれきり何も言わずに、ただ黙ってオレの奏でるメロディに耳を傾けるんだ いつの頃からだっただろう 気がつくといつも君はここに居るのが当たり前のようにオレの隣で笑っていたね 「どうしていつもここにいるの?」 オレがそう聞いた時、君は「火原先輩の音が好きだから」と首を竦めて笑った 面と向かってそんな事を言われたのは初めてだったから オレは凄く『嬉しい』と、そう思ったんだ だからオレは今日もその言葉が聞きたくて、君のために最高の音を奏でる 「火原先輩?」 「え?どうしたの?」 「先輩…、音…変わりました?」 「そ、そうかなぁ?」 彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、オレは金やんの言葉を思い出した 『お前さんの音、変わってきたなぁ』 彼女も金やんと同じ事を言う そうなのかな? トランペットが大好きで、初めて吹き始めた頃と気持ちは少しも変わっていない 火原は大きく息を吸うと大好きな曲を思いっきり吹いてみる 横目でちらりと彼女の顔を見ると、彼女は変わらずにこやかに聴き入っている そんなに気にする事でもないのかな? 「ね、ちゃん…オレの音、変わったのかな?」 「あ…、もしかして気にしちゃいました?」 「そんな事ないよ…だけどさ、金やんにも同じ事言われたんだよね」 彼女は一瞬ビックリした顔をして… でも直ぐに「火原先輩の音がもっと好きになっちゃった」って頬を緩めた 「一度ちゃんに聞きたかったんだけどさ…」 「何をですか?」 「君はオレの音が好きだって言ってくれたよね?」 「大好きですよ」 「それってさぁ…」 オレは彼女より先輩なのに、こんな時どういう風に聞いたらいいのか 上手い言葉が見つからなくて、ほんの少し落ち込んでしまう オレは言葉の代わりにもう一度得意な曲を風に乗せた すると、彼女はオレの音に合わせて軽く口ずさむ 「火原先輩、気付いてます?」 「え?」 彼女の不意の言葉に音が消える 「先輩の音は元気をくれるんです」 「そうかな?」 「はい、今日も一日頑張るぞって気持ちにしてくれます」 「ありがとうちゃん、お世辞でもそう言ってもらえると凄く嬉しいよ」 「お世辞じゃないですよ」 「音楽の事は詳しくないけど…」と普通科の君は少し謙虚な物言いをして フェンス越しに遠くを見つめながら、まるで独り言のように話し出した 音楽はジャンルに拘らず奏でる人の気持ちが聞き手に伝わる 技術だけでは伝わらないものをオレが持っていると彼女は笑う 音を楽しむから『音楽』そう思っていたけれど、 音楽には楽しませるという意味があったことに改めて気付かされた気がした 「ありがとうちゃん」 「え?先輩がお礼を言うのは変ですよ」 「そう?でもさ、何かそんな気分なんだ」 彼女はクスクス笑って、「今日も元気をありがとう」って元気に帰っていく そんな君の背中に一番聞きたくて聞けなかった言葉を問い掛ける ねぇ、オレの音が変わったって言ったよね? それっていい事? 音楽科のオレが普通科の君に聞くなんてとどこか軽蔑視していたんだろうか… そうじゃない オレの方が先輩なのに後輩の君に聞くのは可笑しいって ちっぽけなプライドがそうさせているんだね それがきっと君に聞けなかった本当の理由。 翌日は君に一度も会うことがなかった もともと科が違うんだから、約束をしない限り滅多に会う事もないけど それでもいつもなら気が付くとそこに君が居たのに… 何かが足りない……そんな気がする 「どうしたの?火原…今日は元気がないみたいだね」 「そんな事ないよ」 「そうなのかい?僕には君の奏でる音が寂しいって言っている様に聞こえるけど…」 「そんな事ないよ」 柚木の言葉にオレは同じ言葉を繰り返す そんな事ない… 本当に? 「柚木はさぁ…」 「どうしたんだい?」 「柚木もオレの音が変わったと思う?」 「……」 「柚木…?」 「そんなに気にする事ないんじゃない?」 「だってさ、気になるよ!」 少し声を荒げてしまった事に後悔した これじゃ八つ当たりだ 「ごめん」 そんなオレを見て柚木は「ふぅん」と納得したように笑う 「彼女…、さんには聞いてみたのかい?」 「聞けないよ…、彼女は後輩なんだよ、そんな事聞ける訳…」 「後輩……それだけかい?」 「それだけ……だよ」 そう、それだけ… オレの音を大好きだと言ってくれるかわいい後輩… それなのに、少し胸が痛い そんなオレに追い討ちを掛けるように「やれやれ」と柚木が溜息を吐いた 「火原、長い事君の友達をやっているけれど… 君が鈍感だっていうことに改めて気付かせてくれて感謝するよ」 「鈍感?」 「彼女に聞いてみたら?」 何だろう… 気持ちが軽くなったような気がする 無性に君に会いたい 「彼女に会ってくるよ」 「そうだね、それがいいと思うよ」 「サンキュ、柚木」 柚木に礼を言うと、オレは彼女に会いたい一心で普通科に駆け込んでいく 「ちゃん!」 「ど、どうしたんですか?火原先輩…そんなに息せき切って…」 「君に会いに来たんだよ」 「え?私に?…えーと、それって…」 「君に会いたかったんだ、だって今日は一度も会っていなかったでしょ?」 「そ、そうですね」 「ね、これからオレに付き合ってくれる?」 君の答えを待っていられない 少し戸惑いがちな君をオレは強引に誘う 「は、はぁ…」 「あ、ごめん…もしかして都合が悪かった?」 「いえ、ちょっと驚いただけで」 彼女は「嬉しいです」と言葉を足して微笑みながら申し出を承諾してくれた 「どこに行くんですか?」 「うん、アップルパイの美味しい店を見つけたんだ」 「アップルパイ…ですか?」 「嫌いだった?ごめんね、君の意見も聞かずに…」 「いいえ、好きですよ」 「本当に?よかったぁ…君と一緒に食べたいって思ったんだ」 ホッと胸を撫で下ろすと君は小さく笑った 何だか君の方がずっと先輩みたいだよね 臨海公園の近くのオープンしたての小さな店 大きく開かれた窓から海が広がって見えて そこから漂ってくる潮風に包まれながらオレたちは他愛もない話を繰り返す そこに君がいるのが嬉しくて、楽しくて、満面の笑みが零れる 「先輩がアップルパイなんてちょっと意外でした」 「そうかなぁ…でもさ、こういうのってオレの夢だったんだ」 「夢?」 「うん、デートするならこういうお店でしたいなって…」 「デ、デート…」 「あっ…変?やっぱり変かなぁ!?」 「いいえ、そんな事ないですよ」 そう言ってはにかみながら微かに俯く君が可愛くて、 君が傍に居る事がこんなにも居心地がいいって改めて実感してしまう 「ね、ちゃん…聞いてもいい?」 不思議そうにオレを見つめる彼女に話を切り出した 「君はオレの音が変わったって言ったよね?」 「はい」 「それってさ、どんな風に?」 「えーと…漠然になんですけど…優しくなったっていうか…」 「優しい?」 彼女は小さく頷いて、「この辺があったかくなるんです」と胸元に手を添えた 「ありがとうちゃん」 突然お礼を言われて君は不思議そうな顔をしていたけれど オレは本当に嬉しかったんだ いつも話し易い空気を作っていてくれた事、オレの気持ちを気づかせてくれた事、 通じ合う思いに先輩後輩なんて意味がない事、そして、何より君の存在が… 『ありがとう』の言葉だけでは足りないくらい感謝しているんだよ 「もう少し時間ある?」 「あ、はい…大丈夫です」 少し疎らになり始めた臨海公園 遠い水平線に陽が沈みかけた頃、 オレは君への想いを潮風に乗せて奏でた この想いが君に届くようにと願いながら… 「ね、伝わった?」 「?」 『君が好きだよ』 きっとオレはずっと君への想いを奏でていたんだ 君が好きだから優しい気持ちになれた 君がオレに本当の音楽を教えてくれたんだよ 君への想いを世界中の人に聴かせたいから 今、君色のメロディを奏でるよ 『大好きだよ』 TOP 2009/01/08 |